原付北九州 800km No.3

蒙古襲来の舞台へ

『了解、そっちに向かう。』
午前2時、ノイズの混じった無線の交信が海から聞こえてきた。林の向こうの海からはあかあかと電球の光が見える。ここらへんイカが名産とあったのでイカつり漁船かな?エンジン音、絶えまない無線交信とにかく賑やかだ、もとい、うるさい。午前2時だぞ。

昨日寝たのが20時・・6時間かぁ、この感じだともう眠れないはず。本を読んだり、寝袋でごろごろしてると午前4時。やはり眠れない、5時になると出発しようと決めた。今日のルートを練る。5時前にとんでもなく大きなエンジン音を響かせ漁船は帰っていった。キャンプ場の沖がいい漁場なんだろうか、結局ずっといたのだ。薄暗い中の撤収。カロリーメイトをパクつき出発する。今日は昼ぐらいから雨のようだ、空は明るくなってきたけど曇り。気が進まない。平戸を観光するまでもてばいいのだが。

棚田

海路を経由

海沿いを伊万里まで行ってもよかったのだが、寄り道の血が騒ぎ鷹島を経由することにする。地図上ではショートカットになるし、フェリーで距離を稼ぎエンジンを休められると思ったから。

ちっちゃなフェリーで島へ渡る。ふと、日比港の傍にある観光用看板を見ると、ここは蒙古襲来の舞台になった所だった。どーりでパンフレットにモンゴル村とかあるはずだ。てっきり福岡付近の海岸に上陸したと思っていたけどこんな島だったとは。

午前8時、やはり歴史民族資料館は開いていない。残念、後ろ髪ひかれるけど先に進もう。一車線の道を駆け巡る。島の南端の船唐津から御厨に渡ろうとして確かに船唐津に着いたのだが、フェリーの気配がない。港にいたおばあちゃんに聞くと違う場所らしい。集落から出ておしえられた方角に走る。

その際、道沿いにあった『開田の七人塚』へ。ここは蒙古襲来の際、最初はうまく隠れていた集落の人がニワトリが鳴いたため見つかってしまい、殺されてしまった。帰ってシマダスを読むと、いまだニワトリを飼っていないらしい、それどころか集落さえなかったと思う。草が青々と生えてるだけの寂しい場所だった。

その後、またよくわからなくなり道を歩いていた人に尋ねる。それに従っていくと見覚えのある風景の場所に着いた。どうやら島の南半分を一周してしまったらしい。そこから確かにフェリー乗り場に着いた。でも思っていた航路と違う。ここからだと今福に着いてしまう。しかもフェリーは今出発したばかり、やはり迷ったのが響いたか。

しかたないので待合室で待つことにする。待つのには慣れている。本棚があったので本を選んだ。幕末の戦艦の話で、ノンフィクションもの。長崎県立図書館の判があった。なかなか楽しそうなのだが内容は眠たい頭に入ってこない、横になって寝たかった。出港時間が近づくにつれ人が集まって来た、やけにスーツを着た人が多い。合併がどうとか言ってたのと妙に丁寧なあいさつで政治関係の人かなと勘ぐる。フェリー到着、ほぼ同時に雨がぽろぽろし始めた。今福までの一時間、座席に横になりウトウトした。

フェリー

期待は外れる

到着後、ぽつぽつ降っている雨をなんとか誤魔化して走れないだろうかと思っていたが、やむ気配はない。今のうちにカッパを着ておくか。

いまいち平戸までの記憶がない、雨で必死だったのだ、時間がたつにつれ雨は強くなっていた。

平戸大橋の手前のドライブインにて雨宿りする。今朝から頼りにしているi-modeで天気をチェック。

レーダーアメダスによると九州の北が真赤になっている(降水量50mm/時間)。あきらめたほうがいいようだ。平戸に入ってもこのぐちゃぐちゃの格好では観光地にいくのがはばかれる、どうしよう。しばらく悩んだ。そういえば腹が減ったな、朝から何も食べてないや。 カッパも脱いだしこの際だからとドライブインのレストランに向かう。

みそかつ定食ひとつッ!この時の判断が昼から幸いしたのだった。