No.4 会話のない日々

11/23 スコータイ遺跡

アユタヤーの反省を活かしてレンタサイクルをする。芝生で整備されたメインのスコータイ遺跡を抜けると、畑とその中に点在する遺跡郡、そしてタイで初めて山らしい山が見えた。ホイールは振れており、変速はできない、ブレーキは利かないボロボロの自転車だったけど、思わず山のふもとまで行きそうになる。ここまで来ると観光客はほとんどおらず、崩れかけの赤茶けたレンガの横で牛が草を食んでいた。辺りを一周して久しぶりの自転車に満足し、スコータイからチェンマイへと向かった。

スコータイ遺跡

11/23-24 映画と観光地とナイトバザール チェンマイ

チェンマイでは寂れたホテルに2泊した。飾り気もなにもなかったけど、ナイトバザール徒歩5分の裏道にあり、シーツはキレイでシャワー(水)とトイレが部屋にあった。11月のチェンマイは朝方肌寒いぐらいで水シャワーはちょっと冷たい。そこそこ静かだったので連泊させてくれと頼む。タイのイメージはあの音。朝早くからにわとりが鳴き、犬は吼えまくり、2ストロークのバイクが走り回る。静かな時間はなかなかない。駅のスピーカは午前4時だろうと全力で列車の到来を伝えた。

チェンマイ

チェンマイのお寺

チェンマイのナイトバザールにて夕食。まずクーポン券を買ってそれでいろいろな屋台から料理を買うというものだった。メニューには写真がなくて、ちゃんと読まずに値段だけで注文すると、右側、お皿いっぱいの茹でた貝だけが出てきた。あっけに取られて席に戻ろうとすると、料理作ってたモニカ似のおねーさんに「お客さん、クーポン券を。」と呼び止められた。苦笑いしながらクーポン券を差し出す。これだけではどうしようもない、と、別の屋台でちゃんとした料理を頼むと、クーポン券はなくなった。買い足すのもおっくうでビールが飲めず。

移動中の食事

リベンジ。次の日は100バーツでビール1本(グラスが半分なのは我を忘れて飲んでしまったから)とからあげの定食。ESPNを見ながらカールスバーグを流し込む。最後にチョコレートバナナシェイク(お店スペシャル)まで頂きました。

定食とビール

フードコート

アイ ハブ レイディ.

晩御飯を食べた後、ほろ酔いでナイトバザールをひやかしホテルに帰る。なぜか入り口で宿の親父に呼びとめられた。彼は「アイ ハブ レイディ.」と「○○バーツ.」を繰り返す。「ブルータスお前もか。」またボラれるのかと思い「なんの準備ができたんだ、これ以上は払わねー。」と応戦したけど、なんだか話が噛み合わない。

ナイトバザール

3、4分言いあってたら、突然「ready」じゃなくて「lady」だと繋がり、「レイディ イズ レディ」と自分でもワケわかんないこと言って理解した。「No.No.」と断わる。その晩、なんだか変な夢を見てしまい、寝覚めが悪かったのは言うまでもない。

ゲストハウス

11/25 ピッサヌローク

夜が明ける。日程の半分が過ぎた。そろそろバンコクへ向かおう。ただ、まっすぐ帰るのもつまらない。クメール様式の遺跡(カンボジアのアンコール・ワットと同系統)があるタイ東北部にあるピマーイという町に寄ろうと決めた。チェンマイから南下を始める。ルートを検討して(コーンケーン経由でピマーイ)、たぶんバスが出ているであろうピッサヌロークへ降り立った。

ゲストハウス

ところが「地球の歩き方」に載っているゲストハウスが見つからない。1時間ほど街をうろついたが適当なのが見つからず、結局輪タクのおっちゃんに適当な GHに連れて行ってもらう。立派なホテル隣接だった。受付のねーちゃんに「うわっ、コイツ英語できねぇのか。」みたいな表情をされる。

ピッサヌロークのゲストハウス

部屋の中でTVを見ながらブツブツ文句を言っているのに気づく。3日間ずっと日本人と話をしていない。これはつまり英語もタイ語も話せないので、まともに人と話をしていないということだ。どこかで誰か日本人に会うだろうと思っていたが、誰にも会わない(会っていてもわからなかった)。考えることは帰ってからしたいことばかり。日本語以外を話すのが億劫になりその辺りの屋台でおかずとパンを買い、もそもそと一人GHの中で食べた。

一夜明けた11月26日。ターミナルでコーンケーン行きのバスを待っていた。あまりのヒマさに本をめくっていると正反対にある国境の町、メーソートへ行けばミャンマーに入国できると気づく。ピマーイに行くにはまた長時間バスに揺られないといけない。こっちの方が手ごろかなと土壇場でメーソート行きのチケットを購入した。ほんの思いつきだったけど、これでカチリと鍵が合って、ドアが開いたのだ。