No.2 アユタヤーのボッタクリおばさん

アユタヤーで出会ったおばさん

視界の隅っこに、笑いながら寄ってくるおばさんが見えたのだ。朝、宿を出て、とりあえず荷物を預けに駅に行った。ところがどこで手続きすればいいのかわからず構内の地図を探していた時だった。駅にある観光地図を盾にして身を隠すがあっさりつかまる。荷物を預けて、アユタヤー遺跡を自転車で回りたいと伝えると、「荷物はあっち、さぁついて来て。」と引っ張って行かれた。

初日の宿からの風景

預かり代、一日10バーツ(35円)。所定の書類にサインして、奥にある荷物預かり室に行く。部屋には朝食を食べている駅員がいた。あらかじめチェーンロックをかけておいた荷物を棚に置く。彼は、カチャっとスプーンを置き、水を飲んだ後「Where are you from?」と言った。お決まりの流れだ。「ジャパン」「トーキョー?」「ノー、エヒメ.」ここでみんな、ぽかーんとなる。「フクオカ?」と聞かれたので、「ニアー フクオカ.」と返す。彼は、ふーん、と頷き、またご飯を食べ始める。

トゥクトゥクから外を見る

背中が軽くなって出ると、先ほどのおばさんが、「自転車はではとても回りきれない、いいトゥクトゥク(三輪の小型タクシー)を知ってる。一日200バーツで案内する。どう?」と、言ってきた。まくし立てるおばさんの勢いと、「地球の歩き方」のコピーを見せるので「200バーツ オンリー?」と確認をして、それぐらいならいいか、と頼んでみる。おばさんは5、6人でテーブルに座っている集団に近づき、何か叫んだ。サッカーの新聞を持った一人の若者が出てきて、おばさんとトゥクトゥクに乗り込む。ちなみにこのトゥクトゥクはスピードメーター等計器類はすべて動いていなかった。

走り出したトゥクトゥク

車が走り出すと、おばさんは、擦り切れ色あせたカラーの写真と、タイ語の地図を出して、どこに何があるかを説明する。それにしてもよくしゃべる。道を曲がり、観光地かと思いきや、ガソンリンスタンドに入った。スタンドの外見は、店員が給油する場所でご飯食べてる以外、日本と同じスタイル。こっちの人はテーブルがあれば、店だろうと、外から丸見えだろうと、どこでもご飯食べてる。給油後もしかしてガソリン代払わなきゃいけないのか、と身構えたが、心配をよそに彼らが支払った。ちょっと安心。おばさんの英語+日本語+タイ語を聞きながら最初の遺跡へと向かった。会話するのが非常に疲れる。

アユタヤー遺跡:木に埋まる仏像

アユタヤー遺跡

「あそこが入り口。20~30分待ってるから、ゆっくり見ておいで」ここまできて時間を指定されるとは。トゥクトゥクでおばさんはしゃべりまくるし、ゆっくり遺跡を見て、じっくり写真が撮りたいんだけど。なんだか違うぞ。慌しく写真を撮って、早々に引き上げる。それが繰り返された。

アユタヤー遺跡

軽くぼったくられる

ワット・ロカヤスタでお土産屋のおっさんが寄ってきた。「写真を撮ってやろう。あそこに立て」向こうの人は強引だ。「ハスとお線香をここに立てるんだ、 20バーツ。」それぐらいはいいかな、と20バーツ払うと「これお土産にどうだ?」と小さな置物を薦めてきた。ちょっと見ているとおっさんは「スズキムネオ、サンペイ」とどうでもいいことを繰り返す。「絶対それおかしいぞ(日本語)」とツッコんでいると、お土産買っといてもいいか、とスキができてしまいつい「いくらだ?」と聞いてしまった。「200バーツ。」「高いっ、要らない」と言うと、「いくらなら買う?」と返ってきた。どかんと半値の「100バーツ。」おっさんは渋い顔をして、交渉は決裂するかと思いきや、僕が去ろう、とするのを見て、「100バーツ.OK.」となってしまった。」

・・・よく考えれば昨日の宿は100バーツだぞ。

「ミステイク。」トゥクトゥクのおばちゃんに拙い英語で愚痴る。「これは5バーツぐらいだね、でも大丈夫ラッキーアイテムよ。」何度も「ラッキー」と励ましてくれる。つまらないおっさんの手口に乗ってしまったことに腹が立つ。

首や手が落とされた仏像。

首や手が落とされた仏像

18世紀中頃、ビルマによって破壊された仏像。1つとして完全な形のものはなく、兵士が遊ぶように壊しているイメージが沸いて鳥肌が立った。ゴクリと唾を飲みこむ横で、おばちゃん曰く「最後は勝ったから没問題。」とのこと。うーん、国民性の違いだろうか。

アユタヤー遺跡

駅まで戻ってきてお別れだ。(上の写真は駅ではないです)「サンキュー。」と共に200バーツを差し出す。ところが、なぜか彼女は受け取ろうとしないのだった。